博士とたける【ナイトプールが起こした革命】

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博:たける君「ナイトプール」は知ってるかね?

 

た:ナイトプールですか?聞いたことはありますけど。

それがどうかしたんですか?

 

博:ナイトプールが今、凄いことになってるんじゃ。

 

た:凄いこと?

 

博:そうなんじゃ。まずは、ナイトプールの定義から始めよう

 

【ナイトプール】

昼とは違いムード満点で、太陽も沈んでいるので、水着を着たいけど日焼けしたくない、浜辺で砂まみれになりたくないという人に人気のサマースポット。

ナイトプールの多くは普段は訪れないようなホテルのプールで実施されており、リッチな気分でプールを満喫できる。 

ほとんどが水着を持参するだけでよく、仕事あがりでもふらっと気軽に行くことができる。プールサイドでカクテルを飲んだり、DJがつなぐ音楽を楽しんだりと、教養に欠ける人々にとって、魅力は満載。

 

 

た:なるほど〜。

 

博:ナイトプールの肝は「インスタ映え」にあるんじゃ。

 これがどうゆうことか分かるかね?

 

た:ナイトプールに行く、そもそもの目的が、インスタグラムに自分の水着姿を  

 乗せることである。ということですか?

 

博:その通りじゃ。つまり、ナイトプールにはそういった価値観の女子がたくさんいるのじゃ。

 

た:そういった価値観?

 

博:自分の水着姿を見せることに抵抗感がなく、溢れ出る自己顕示欲を抑えることのできない、羞恥心の欠片のない女子を人はなんと呼ぶ?

 

た:スケベ女

 

博:そう、つまり「ナイトプール」とはスケベ女が人工的に一箇所に集められた場所なのである。

 

た:なるほど。

 

博:しかもじゃ、そもそもの目的が、「晒すこと」にあるため、女子は「自分が    

 一番可愛い状態」でナイトプールに出向くことになる。

 つまり当人達の最高点でナイトプールに臨むことになる

 

た:一般なプールや海よりも、平均点が高いということですね?

 

博:そうじゃ。

 

た:これは凄い発見ですね。

 

博:そういった価値観の女子が一箇所に集められたのが「ナイトプール」だと

 説明したが、そこあるのは「自然なおっぱい」2つじゃ。

 

た:し、しぜんなおっぱいですか?

 

博:そう。A V より、お昼の午後のロードショーでやっている訳の分からない B    

 級洋画で、ふと映るおっぱいに興奮した経験が君にはあるかい?

 

た:あります。おっぱいを目にすることを、あらかじめ予期しながら見るAVより、午後のロードショーでやる「インビジブル」などで見る、「ふいなおっぱい」に僕は興奮した経験があります!!

 

博: 映画「ナイトプール」はそれに近しいものがあるんじゃ。 夜のプールに、水着で来てくださいとだけ言われて、後は台本なんてないんじゃ。自撮りしたのはあくまでも、本人達の意思。そこに映るのは自然に撮られた「ふいなおっぱい」なのです。

 

た:なるほど。

 

博:たかし君よ。我々男子は今まで、水面下で

「プール また行きたい」「海 楽しかった」と検索し、自然なおっぱいを炙り出してきた。しかし、その時代は終わった。

 

た:な!?

 

博士: 気付いている奴は気付いている。「#ナイトプール」の関連タグが #尻フェチ #おちんちんの時点でお察しなんじゃよ。

 

た:時代はもう動き出しているのですね。

 

博:「ナイトプール」は「自然なエロ」を絞ったものを炙り出す魔法の言葉じゃ。

 「#ナイトプール」の投稿件数は現時点で113,892件。彼女達は止まることは 

 ない。

 

た:女子達に知られることのない、「男史」の歴史は今秘かに動き出したのですね。

 

博:「ナイトプール 前/後」というものか確実に今生まれたのじゃ。

 

た:とても勉強になりました。ナイトプールに行こうと思う、そういった価値観を持った女子は明らかにどスケベであること。プールに入りながらクラブミュージックを聴いて、踊るような女は偏差値が2であること。よって貞操観念が緩いということ。つまり、すぐやれ

 博:落ち着こう。たかし君。時間はまだある。

 

た:はい。

バイト先で「家族」を感じた話

今日バイト先のコンビニで、「家族」というものを見た。

 

店の入り口でおじいさんが、おばあさんに

「お〜いこっちに飲むヨーグルトあるぞ〜」

と言ったら

おばあさんが娘に

「こっちに飲むヨーグルトあるって」

と言って

娘が息子に

「飲むヨーグルトこっちあるわよ〜〜〜〜」

って言って

 

息子が「飲むヨーグルト」を手にとって

僕の待つレジで会計を済ました。

 

バルサみたいなパス回しから、息子のレジゴール。

拍手しそうになった。

 

家族が原始的な伝言ゲームをしていて、「一族」を感じた。

 

 

バイト先の客の話

バイト先のコンビニに、同い年(23)くらいのギャルとその子供が来た。

コンビニにあるおもちゃを欲しがった子供に

ギャルママは「買わないよ!!」と、コンビニのキャパ以上の声を出して子供を叱った。

襟足を伸ばされた子供は「クソ野郎!!」と言った。

夫婦間の口喧嘩から、学んだ言葉なのだなと察知して切なくなった。

 

それでも「欲しい」が止まらない子供に対して、ギャルママは

「メルカリで買ってあげるから!!!!!」と怒鳴り散らした。

店内で剥きだしになった生活感、「無計画」という言葉が店内を覆い尽くして

その場にいた全員が切なくなった。

 

少年は、メルカリの実績を過去に感じたことがあるらしく

おとなしくなった。

 

親子が僕のレジに並んだ。

少年は僕の顔を見た瞬間、母親からの遺伝かとても大きな声で

「ママ!!!この人偉そう!!!!!」と言った。

店員や客が一斉に僕を見た。全員が僕の「対応力」をその場ではかろうとしたのが分かった。

僕は、子供の率直さが苦手だし、その率直さが割と的を射ていることを知っている。どうしていいか分からず

「ごめんね」と言った。

子供は「ママ!!!この人偉そう!!!!!」と言い続けた。

ママは僕が困っていることに気がついたのか、

「この人本当に偉い人なのかもしれないよ。」と言った。

フォローの仕方が独特だ。

「僕は偉くなんかないよ。偉そうにしているというのは、確かに的を射ているよ」

と少年に言った。

少年は

「でもママ僕はこの人が大好きなんだ!!!」

と言った。

 

俺はこの家族が幸せになればいいと思った。

 

 

 

女の子に言われた忘れられない一言。

ふと昨日思い出したことがある。

高校の頃のこと。

 

自転車を漕ぎながらの帰り道、隣のクラスの女の子と偶然遭遇した。

その女の子とは話したことがあまりなく、面識がある程度だった。

遭遇してしまったからと言って逃げる訳にもいかず、

流れで家まで送ることになった。

 

その後、帰り道が同じになるたび、家まで送ることになった。

女の子の家は僕の自宅からも、学校からもとても遠かった。

それは別に問題ではなかったのだが、一番の悩みの種は

その距離を埋めるための会話の尺がないということだった。

 

二人の共通の話題は、「学校で嫌われている先生」のことだった。僕もその子も、その先生が苦手だった。僕もその子もと言うか、クラス全員が嫌っていた。

何気ない会話が終了してしまうのは、決まって彼女の家まで残り半分くらいのところにある、長めに待たされる横断歩道である。

自転車を漕いでいると、適当な言葉が出るのに、長めに待たされる横断歩道の前では

脳にブレーキがかかり、言葉が全く出なくなってしまう。

 

そこで毎回していたのが、「学校で嫌われている先生」の話題である。

最初はその子も、「わかる。〇〇先生のそこが私も嫌い!!」

等の相槌を打ってくれていた。

人の嫌なところを見つけるのが大の得意である僕は、彼女のリアクションも良いし、

話も続くし、内心ほっとしていた。

 

それから一緒に帰ることが多くなり、僕が憂鬱になってきた頃、

またいつも通り、横断歩道辺りで何気ない会話に限界がきたので、

先生の悪口を言うことにした。

 

もうこの頃には、先生の嫌いなところが、これ以上ないというところまで僕は悪口を言っていた。先生のあらゆる面を掘りすぎて、良いところを見つけてしまいそうなくらいに。

彼女を家まで送り、自宅まで帰る道で、もうこの先生をこれ以上嫌いになれないかもしれない。そうなったら、もう彼女との会話は続かないなと不安になっていた。

 

僕は無理矢理、彼女との会話を継続するためだけに

もうこれ以上掘っても出てこないはずの、悪口を言い続けた。

「〇〇先生のご飯食べてる姿なんかムカつかない?」

「立ち姿がもうないよね」

「数学顔なのに国語教えるなよって感じだよね」

誰がどう見ても限界だし、僕も限界だとわかっていた。

先生の悪口を言うたびに僕は自分に

「別によくね?」と相槌を打っていた。

 

彼女の相槌はもっと辛辣だった。

 

「私、、、人の悪口言う人苦手なの。」

 

と言った。

僕は「え??」と思った。

(いや、これはその、会話を続かせるために、俺なりに、俺も本当はその先生のことそんな嫌いなわけじゃ、)等の言い訳が一気に頭を駆け巡ったけど

それを説明するには、彼女の家がもっと遠くにある必要があったので

僕は

「ごめん」

とだけ言った。

それから彼女の家までの道のりの記憶はない。

「え?」で頭が一杯になってしまったからだ。

 

それ以降僕は、帰る時間をずらして

二度と帰り道が同じにならないようにした。

 

「私、、、人の悪口言う人苦手なの。」

って言われた瞬間の、景色とか、匂いとか、その時の感情が鮮明に

記憶に残っている。

それほど、自分にとって衝撃的なことだったのかもしれない。

 

たまに思い出してはブルーになる話でした。

 

「継続」と「鈍感」(何故無垢な新卒が、次第に嫌な上司になってしまうのか)

圏外

僕は、苦手としている人ほど無視できないことがある。

相手の土俵にわざわざ入り込み戦いたくなるのだ。

例えばTLで「この人言ってること違うなあ」と感じるツイートを発見したら、そのツイートに対してツイートしたくなる(なるだけで実際はしない)。

この行為はわざわざ相手の土俵に入り込んで相撲を取るということになる。

 

ツイッターに限らず、職場での人付き合いでも、

「この人気にくわないなあ」と思ったら、直接何か言うわけではないが

自分の中でずっとイライラしたりする。これは僕だけではないと思う。

このずっと他人にイライラしているのは、非常にエネルギーが奪われることが最近よく分かった。

なので、4月は何でも「許す」「肯定する」ことを徹底することにした。

 

腹たつことがあっても「こうゆう考えの人もいるしな」「人は人だ」

と思うことにした。

1ヶ月実践したのだが、確かに苛立つことはなくなったし、

何でも許せるようになってきた。

何でも受け入れてしまう方が、イライラするより実際は「楽」であることが分かった。

なぜ「楽」なのかというと、自分が「鈍感な奴」でいればいいだけだからだ。

気の知れた友人以外(職場の人、特定の環境でしか付き合いがない人)とコミュニケーションを上手く取るためには、一種の「鈍感」さが必要なのではないだろうか。

 

メイプル超合金カズレーザーさんはインタビューで、

「人の言葉の裏を取らないようにしている」と言っていた。

これは相手の発言の真意に触れようとせず、自分のアンテナをほぼ「圏外」

にすることで「楽」な方法をとるということだ。

 

継続

継続するために鈍くなるのは、コミュニケーション以外でも見られる。

僕がサラリーマンだった頃、先輩は

「土日は、月曜日から金曜日最高のパフォーマンスをするためにある」

と言っていた。

僕はこの言葉を聞いて、速攻辞めた。辞めた自分はまともじゃないと思っていた。

でもまともじゃないのは、サラリーマン達の方ではないかと最近思う。

 

冷静に考えて

「土日は、月曜日から金曜日最高のパフォーマンスをするためにある」

なんて頭がイカれているとしか思えない。

そもそも毎日週5+残業なんて、人間のキャパをとうに超えてしまっている。

 

なぜ仕事は人間の「キャパシティ」を超えてしまったのか

原始人も「労働」はしていた。皆まともだったと思う。

ただその中で一人「まともじゃない原始人」がいた。

その「まともじゃない原始人」はとても卑しい奴だ。

村の原始人達はしばしば「狩り=労働」に出た。

イノシシを捕獲し、食事を待つ村の人々の元に帰り、イノシシをさばく。

さばいたイノシシを調理し、木で出来たテーブルの上に乱雑にばら撒き、

村人たちがそこに群がり食う。それが彼らの日常だった。

 

いつも通りイノシシをさばき、乱雑にテーブルの上にばら撒こうとした時

卑しい原始人が言った

「ちょっと待てお前ら!!!これ綺麗に盛り付けた方がうまそうじゃね?」

そして卑しい原始人は、さばいたイノシシを綺麗に盛り付け、最後にはイノシシの鼻をテーブルの端に添えるようなことまでした。

仲間の原始人達は無意味だと思ったが、実際は違った。

村の女達は「おお!!なんかいつもよりバカ美味そう!!!」

村長(社長)も「盛り付けって変わるな。」と言った。

それからは、「まともな原始人達」も盛り付けることに納得はしていない(意味が分かっていない)が、村長からの評価を得るために「盛り付け」をするようになった。

いつもの工程作業に、さらに一つの作業がプラスされたのだ。

その後原始人達は、「村長に認められたい!!」「あいつに負けたくない!!」という思いで、イノシシの骨からフォークみたいなものを作ったり、

中には、イノシシの皮を前掛けにして村長に贈呈するものもいた。

気に入った村長は、フォーク作りや前掛け作りを「習慣化」する。

労働が増えていく。

まともだった原始人は、狩りの帰り道、

売店で、エメラルドマントヒヒ(働く原始人の中では、「エメマン」と言われていた)の血が入った170グラムの飲み物を飲んでいた。

一人のまともだった原始人が言った

「今日も残業か」

 

これが現代まで続き、労働が今こうしている間にもなお、膨らみ続けていると僕は勝手に思っている。

 

継続part.2

話は戻る。原始人をいつまでも憎んでも仕方がない。

普通会社に入ったら、なかなか辞めるという決断には至れないと思う。

(これは会社を辞めた僕が凄いだろ〜とかそうゆうことじゃない。先のことを何も考えていないだけだ。そのおかげで、現在はコンビニ店員、部屋にテレビも電子レンジもない。納得はしてるからいいけど。)

 

中々辞めれない状況の中で、適応するには自分が鈍くなるしかない。

新卒1年目がきついと言われるのは、「まとも」だからなのではないか。

慣れてくるというのは、自分の中のアンテナの電波を1本ずつ減らしてい

ということなのではないだろうか。

 

なぜクソみたいな上司が生まれてしまうのか

「クソみたいな上司」は、最初から「クソみたいな新卒」だったとは僕には思えない。

麻痺をしないと継続できない「労働」に触れる前だからだ。会社に入るまで現代の大学生と変わらず、楽しいキャンパスをライフを送る無垢な少年、少女だったはずだ。

 

敵意と親近感は表裏一体らしい。

人間には「反動形成」というものがあり、受け入れ難い感情に対して、その反対の感情を意識的に支持することによって無意識の防衛をおこなう。

「反動形成」が如実に出た事件がある。ストックホルムで起きた銀行強盗事件では、数人の銀行員が人質として6日間銀行の金庫に監禁された、犠牲者たちが次第に犯人の協力者として、外部からの救助を拒絶する振る舞いをしはじめたのだ。事態が収まったとき、犠牲者は犯人をかばったらしい。

 

同じことが会社でも言える気がした。

数人の新卒が人質として定年退職まで会社に監禁された、新卒たちが次第に会社の協力者として、外部からの救助(友人からの、会社やめたほうがいいんじゃね?)を拒絶する振る舞いをしはじめたのだ。

「無垢な新卒」がいつの間にか、新卒の頃嫌がっていた「濁ったベテラン」みたいになってしまうのは、

自分を守るために(働き続けるために)、自分を脅かす会社の考えたをなぞったり、属性を装ったり、攻撃性を真似たりすることによって、脅かされる側から、脅かす側にいつの日か変わってしまうからではないだろうか。

 

っていう考えが生まれてしまったせいで、僕は全員がモンスターにも見えたし

自分もそうなることが容易に想像できた。

1番きつかったのが、食堂でご飯を食べる時。

モンスター達が「さらに働くため」という同一の目的で

同じようなご飯を、同じ時間に食べているのが気持ち悪かった。

皆、原始人が作った、箸やフォークでイノシシを食べているように思えた。

 

まとめ

今回、僕がここに書いたことはかなり極端だし、

アンテナバリ3のまま働いている人(よりしんどい)も多くいると思う。

そうゆう人が、皆が良い上司と感じる人だし、大金を掴んでいるのかもしれない。

鈍感になるというのは、決して悪いことではないと思う。

バリ3にできたり、圏外にできたり、自ら使い分けができるのが良いのではないかと思う。

鈍感な人間はしばしば人を傷つける。敏感な人間は、他人の感情がわかるので

他人に対して「率直」さに欠ける。

鈍感でいるときも、自分に対しては常に率直かつ、敏感でありたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注意の刃物

なんだその言い方

僕はコンビニで働いている。

50歳後半くらいのおばさんがいるのだけど、この人の「言い方」が

気になる。

この人は「〜〜〜なので。」で会話のピリオドを打つ、珍しい人だ。

例えば、人に注意するとき

「これは違うので、〇〇してください。」ではなく

「これは違うので。」という。

「〇〇してください」という省略された部分を理解するには、

こちら側の寄り添いが必要になってくる。

多分おばさん的には、注意することに気まずさを感じている。

「〇〇してください」という1番「注意」が強いとこをフワっとさせたいのだと思う。

気持ちは分かるが、どうせなら最後まで注意されたい。

 

注意までの「導入」「起承転」までやってくれるのだが、

「結末」と「結」はこちら側で導くことになる。

これは他人に注意されるより言われるより、遥かにしんどい。

注意という名の刃物を僕に向け、「ここに刃があるので。。。。」

と言われる。あとは向けられた刃物に自ら進んで、刺されに行かなければならない。

他人に刺されるより、ずっと痛い。

 

その言い方腹たつので。。。

今日はそんなおばさんの口癖が炸裂した日であった。

「落合君。プチレーズンパンと豆パンは違うので。。。。」

と言われた。僕は何のことか分からなかったが、ひとまずおばさんに

向けられた刃物に飛び込み、血だらけになりながら、すぐに「すみません」と言った。

恐らく、

パンを並べていた時、僕は間違って「プチレーズンパン」を「豆パン」の列においてしまったのだ。

ひとまず謝ったしいいや、と思っていたのだが

 

時間が経過するにつれ、自分の中の小さな「え?」が沸きまくってきた。

そもそも「プチレーズンパンを豆パンの列に並べていたよ」と言えば済む話なんじゃないか?

てか、「プチレーズンパン」と、「豆パン」が違うことくらい俺は知ってるよ。

「プチレーズンパンと豆パンは違うので」という刃物は、パンの違いが分からない人に向けるものではないの。

例えば犬を陳列する仕事があって、

今回の僕のミスは、トイプードルを陳列するところに柴犬を並べてしまっただけ。

でもおばさんは

「猫と犬は違うので。。。。。」

と言ってきた。

 

飛び込む方も上手くなる

「プチレーズンパンと豆パンは違うので。。。」と言われた時に

もし仮に、「お前を殺して俺も死ぬ」みたいな気持ちで

「それは知っているので。。。」

と僕も刃物を向けたらどうなるのだろう。

お互いに刃物を向けたまま、長い緊張状態が続くのかしら。

そう思うとだるいから、僕は今後もガンガン向けられた刃に飛び込んでいく。

 

でも勘違いしないでほしい。いつだって一方的ではない。

あっちが、刃物を向け相手に自傷行為を誘導するプロなら

こっちは、向けられた刃に飛び込むプロ。スタントマンだ。

 

先日おばさんに「落合くん!」と呼ばれた。

何を注意されるのか分かっていた。

その瞬間「〇〇のことですよね?すみません、今度からは〇〇を△△

するようにします!!」と言った。

つまりは、おばさんが注意の刃物をこちらに向ける前に

僕は自らの懐から刃物を取り出し、それを地面に突き立て、

目の前でダイナミックに血しぶきを上げながら飛び込んでやったのだ。

 

飛び込む方も上手くなるので。。。

 

「3」という数字に縛られている話

僕は中学生の頃から「3」という数字にかなり囚われている。

学生の頃から悩みが絶えなかった。

「今日、ああいう言い方しちゃったけど、嫌われたかな?」

「俺、教室を変な空気にしたかな」

「みんな実は俺のことを嫌いなのではないか?」

等々根拠のない不安と、ずっと戦っていた。

これではラチがあかないということで、

僕は「悩みを考えるのは3回まで」と決めた。

1回目の「悩みを考えるタイム」は学校に行く前、2回目は帰宅後

3回目は「お風呂」

悩みを考えるタイムの終了のお知らせは、自分の後頭部をおもいっきし

叩く。頭の中から外へ、悩みを飛び出させるというイメージだ。

 

最近知ったのだが、この方法は案外間違っていなく、昔読んだ心理学の本に

思考とは「癖」で切り替えるには「きっかけ」を与えることが必要だと書いてあった。

野球選手が靴紐を結んで、試合モードに切り替えたりするのと同じだ。

イチローが毎日カレーを食べる「癖付け」のようなものなのかもしれないが、

生憎中学生の僕には365日分のカレールーを持ち合わせていなく

自分の後頭部をぶっ叩くことしか出来なかった。

一度、頭の前の部分を叩いたところ、「悩み」が頭の中に突き刺さって

永遠と悩まなければならない気がしたので、後頭部から叩くことにした。

 

やり続けていると、案外うまくいってかなり一日が楽になった。

 

「3」の名残

「3」という数字が脳にこびりついてしまったことで、今もそれが落ちない。

未だに悩みを考えていいのは3回まで。「4」という数字にかなりマイナスなイメージを持っているので、4回目の「悩みを考えるタイム」にはどうやったって突入できないのも、よくできている。と、中学時代の「僕」に感心した。

 

一番「3」に頭を侵されていた頃

この頃は、統合失調症らしき兆候が見られていたので、僕は余計「3」に侵された。

統合失調症の頃の話はこちらで。↓↓↓比較的ポップにまとめてます。)

ochiainowife.hatenablog.com

 

鍵を閉めたか確認していいのも3回まで。

ガスの元栓を3回まで。

何もかも3回まで。

「癖」とは恐ろしいもので、大学生時代は何をやるのも「3回」やらないと

気が済まなくなってきた。

2回鍵が閉まっているのを確認しても、3回鍵が閉まっているのを確認しないと、鍵が閉まっていないと思っていた。

何もかも「3回」やっていたので、外出しようと決めてから

①「二階のロフト、リビング、トイレ、風呂の電気の確認✖︎3セット」

②「ガスの確認✖︎3セット」

③「鍵の確認✖︎3セット」

をしなければならいので15分はかかった。

1番僕が嫌っだのは、やっとの思いで外に出ることができ、

鍵の確認に入る時、3回目のチェックで

「本当に閉まっている?」という疑念が生まれしまう、時である。

これが起きてしまうと僕はとても困ってしまう。

「4回目」の鍵の確認はできないからである。

そこで僕が今まで培ってきた、「癖」のコンボが発動する。

 

「4回目の鍵チェックが生まれてしまう」

「悩み」となる

後頭部を叩いてリセット

①「二階のロフト、リビング、トイレ、風呂の電気の確認✖︎3セット」へ戻る

②「ガスの確認✖︎3セット」

③「鍵の確認✖︎3セット」を失敗

「4回目の鍵チェックが生まれてしまう」

「悩み」となる

後頭部を叩いてリセット

①「二階のロフト、リビング、トイレ、風呂の電気の確認✖︎3セット」へ戻る

②「ガスの確認✖︎3セット」

③「鍵の確認✖︎3セット」を成功

外出成功!!!!

 

と言ったアルゴリズムで無事外出することが出来ていたのである。

 

助けてくれる時もある「3」 

「3」が助けてくれる時もある。

僕は考えてはいけないことを、考えたくなる癖があり(皆あると思う)

それが顕著に出るのが、エロいことを考えている時である。

そんな時「3」が助けてくれる。

 

大学生の時、淫夢を見た時のこと。

夢の中で、意識ははっきりしていた。僕の上に跨り、腰を振る女がいた。

「これは夢だ。」と気づいたと同時に

「この快感は現実で誰かにいれられてる可能性がある」と思ったほどの

心地よさが僕を包んだ。

 

しかし顔がのっぺらぼうであった。すぐさま、自分で顔を考えなくては勿体無いと思った時、考えてはいけないことを考えたくなってきたので。

「1回目の顔チェンジ」は 男友達の顔になった。

友人が俺に腰を振りまくるもんだから、これは良く無いと

急いで

「2回目の顔チェンジ」

すると、幼い頃、僕に良くでんろく豆をくれた、母方のおばあちゃんの顔になってしまった。やっば!!

チャンスはあと、1回。3回目で美女の顔に!!

だけど、変な顔も考えたい!!うわ!!!フィニッシュしてしまう!!

母方のおばあちゃんの顔ではイケない!!とにかく顔を変えなくては!!

 

と「3回目の顔チェンジ」で腰を振る女体の顔は僕の顔になり

そのまま夢精してしまったのだ。

 

3回切り替えるという「癖」がなかったら、危うく、

1番夢精してはイケない人で、夢精してしまうところだったのだ。

父方ならまだしも。

 

今も「3」の癖は多少あるが、だいぶマシになったと思う。

 

〜終わり〜

〜終わり〜

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