写真で振り返る、2か月で脱サラするまでと、それからの地獄。(5月〜6月編)
写真で振り返る、2か月で脱サラするまでと、それからの地獄。(2月〜5月編)は
こちらを見て頂きたい。
これから書くのはその続き。脱サラ編である。
崩れ始めた5月
中国の研修から帰ってきてから、「研修」が終わり「業務」に入った。
研修期間何も話を聞いてなかったため、非常に苦しんだ。
用紙が入ってないのに気付かず、印刷ボタンを連打してしまい、
1枚印刷すればいいものを、30枚くらい印刷したり、
紙一枚が、プリンター機から球体となって出てきたりと、
そういうレベルのことが出来なかった。
先輩に「よくも悪くもお前は人を巻き込む」と言われたのを覚えている。
この頃から、僕は帰宅してから毎晩1時間ベランダで外を眺めるようになった
散歩もするようになった。
(いつも歩いてた道)
社会の厳しさと自分の限界を知った6月
6月に入ったあたりで、「社会」というものを僕は大きく履き違えていたことに気づいた。
僕は自分の「魅せ方」みたいのばかりを気にしていた。
でも「社会」で重要なのは「どう見られてるか」でそこが一番肌に合わなかった気がする。
6月は嫌なことが立て続けに起きた。
ある日部長に新卒全員が呼ばれて
「この中で落合が一番学生気分が抜けてない。誰とでも話せるみたいな顔してるけど、そんなの社会で通用しないし、ビジネスマンっぽくふるまえ」と怒られた。
これは自分でも納得した。
(この頃からご飯が全く食べられなくなり、お昼は毎日、遊具で戯れる親子に横目で見られなから、一人でこの公園でタバコを10本吸っていた。)
配属先の希望を聞かれる社長面談の前日、
一番怖い営業部長に(何故か俺を気に入っている)「落合。分かってるよな。営業って言えよ。」って言われて、
僕は次の日の社長面談で「管理部がいいです。」と
誰も予想してなかった渋めなとこを選択してしまった。これも会社中の噂になった。
何も言われなかったけど、営業部長はキレていた。
その後、配属先を社長から「システム部」と言い渡された。
システムの「シ」の字も言ってないのに、謎の配属で
僕は社長に「何でですか?」と聞いた。
これが社長は実はかなり気に食わなかったらしく、これも会社で噂になった。
先輩の迷言とありえない失態とノリで辞める決意
そんな自分にも、相談に乗ってくれている先輩がいた。
その先輩に
「配属先が気に食わない。そもそも一番現場にいない社長が配属先を決めるシステム自体が意味不明」
と伝えたら
「黙って頷くのが社会人だぞ。」と言われた。
6月の僕はブチ切れていたので
「会社に入る時に、新卒は臆せず何でも言って欲しい。上は凝り固まってて、システムを変えられない。と言われました。社長が配属先を決めるのはおかしいと思う。」
と言ったら、
「お前そんなに人と同じレール乗るのが嫌なの?(笑)」
と言われ、
「あ!!!!!!!!!!!俺辞めるかも」と思った。
(会社に入ってから2か月で体重が7キロ減った)
大失態
そして忘れもしない6月初めの金曜日。
僕に任された仕事は、会社の偉い人達と、お得意様、提携先の偉い人、新しいお客様
の会食の予約である。
僕が一番苦手とする感じの仕事。特に大したこともなく、退社。
スマホの充電が切れていたので、電車を待っている間に携帯充電器を取り出し、
電池をつけてみると、先輩から着信の嵐。
鼓動がバクバクしてきて、LINEを見ると
「予約できてなかった」「今から電話しろ」「お前最低だな」
と書いてあった。しかもそれは1時間も前のこと。
ひとまず、「俺とこの会社はもう関係ない。」と思うことにした。
そして冷静になって、予約していたお店に電話をしてみると、なんとか対応してくれたとのこと。
俺は急いで、引き返しその会食に突撃して、土下座レベルで謝った。
みんな己を器の広さを見せ合うかのように、気さくに許してくれた。
本当に助かった。
ノリ
その足で、友達と飲みに行った。
この日は飲めないお酒をたくさん飲んだ。
飲んでいる時、隣の席にいた知らないおじさん2人に聞いてみた。
「辞めないでいられる秘訣って何ですか?」
俺はこの時、我慢って言え!!そしたら辞めてやるから!!って思っていた。
おじさん2人は声を揃えて言った。
「我慢だな。」
次の月曜日突如会社を辞める宣言をして、
永遠に続くと思われた楽しすぎる生活と、ないと思っていた地獄の生活が始まる。
次は「会社を辞める宣言しに行く日のことから」を書きま〜す。