僕とエヴァンゲリオンとオナニー

高校3年生の夏。僕は悩んでいた。

それはエロいコンテンツをどうすれば見れるのだろう?という事だ。

僕は中学三年生の時、今でいうワンクリック詐欺に引っかかり、インターネットとは誠に恐ろしい所であると自らに叩き込んだ。

今思えば、ランダムに送られた迷惑メールが偶然自分の所に届き、それをクリックした事により7万を請求された訳であるが、当時の僕はそんな事を考える頭を持っている訳がなく、友人から送られてきた無料エロ動画を見たために、メールアドレスがバレ、天罰が下ったのだと推測した。

手元に1000円程しかない僕が7万円を払える訳がないので、これは母親に払ってもらおうという事で、「いやらしい動画を見てしまったため7万円を払わなくてはなりません。」と母親に告げ、「どうして払わなくてはならないの?」と聞かれては、インターネットとは誠に恐ろしい所であると自らに叩き込む次第であった。

それ以来その一連の流れの中の何かがトラウマになり、25歳の今の今まで無料エロ動画を見た事がない。

 

高3の僕がAVをレンタル出来る訳がない。そしていんたーねっとも怖い。

そうなると、せいぜいヤンマガ等の巻頭グラビア等が僕の限界ドライブであった。当然数ヶ月も経てばそのようなものに飽きてしまい、今度は動くものをみたいと思うようになった。かといって動画の入手は困難なので、どうしようかと頭を悩ませた結果、「では虎を出してください。」と言わんばかりに、とんちを働かせ、なんかの漫画雑誌の付録についていた巨大ポスターを床に広げた。そして全裸の私はそのポスターの上にうつ伏せになり、自分が動く事にしたのだ。

しかし、高3の阿保男子高校生の私でも、「これは間違っている」という事に気づきそのガチガチになったポスターをゴミ箱に捨てた。

 

夏休みになり、エッチが見たいな〜。と思いながら涼やかな部屋でゴロついていると、

テレビから、新世紀エヴァンゲリオンが流れていた。確かスペースシャワーTVだったと思う。

なんとなく見ていると、紫の髪の女性がとてもイヤらしい事をしていて、確か「そんなもの入らないわよ〜〜」的な事を言っていた(ような気がする)。

井戸から見た貞子のようにテレビを食い入るように見ていたのが最後の記憶で、

気づけば「ああ新性器ああ新性器」と言った感じで、一心不乱にママチャリでツタヤに向かっていた。アニメであれだけエッチだったのだから、漫画版はもっと厭らしいといった、いち100方式だと私は踏んだ。

「だったらいち100を買えよ」と思われる方もいると思うのですが、そんな勇気は僕にはありませんでした。ですが、エヴァンゲリオンなら買えます。何故なら表紙がエッチそうじゃないからです。

ツタヤについた僕は、手持ちの目一杯手前を使って、漫画エヴァンゲリオンの1巻から3巻までを買った。いきなりさっきのエッチなシーンを読みたいのは山々だったのだが、物語を楽しむために買ったのだと、自分やその他の誰かに向かって言い訳がしたく、しっかりと頭から読み始めた。

しかし待てど暮らせど、待てど暮らせどアニメのあのシーンは出てこなかった。

途中誰かの裸体シーンが出てきたが、それはエロをみせる事を目的としたシーンでないと感じた私には何も響かなかった。

そうゆえば先程のエッチなアニメは第何話だったのかと調べると、かなり後半である事が判明し、気がつけば私はまたツタヤへチャリを漕いでいた。

そして2日先までのお菓子代を犠牲に、4巻から7巻くらいまでを買った。

飛ばし飛ばしで買わないで、しっかりと4巻から買うのはあくまで「物語」を楽しむためである。

が、結局そのシーンは出てこず、そのままブックオフに売りに行き、明日分のお菓子代を取り戻したのだ。

 

あれから7年。25歳の今日

ブックオフで売っていたエヴァンゲリオン全巻セットを買った。物語を楽しむために。

俺は大人になったのだ!!!

 

 

休みの日にも職場に行ってしまうのは病気ですか?

本日はお休み。

だが今すぐにでもバイト先のコンビニに行ってしまいそうだ。

と言うのも、最近休みが怖くて怖くて仕方がない。

僕が休んでいる間に、店で何かしらの問題が起きていないか、とんでもないミスが起きているのではないかと、思考を巡らせている内に1日があっという間に終わってしまう。

 

職場で金庫を閉めた後そのまま鍵をポケットに入れて持ち帰ってしまい、店の開店時間を大幅に送らせてしまいそうになったり、清掃のためアイスが入っている冷蔵庫の電源を切ったものの付け忘れてしまい7万の損失を生んだり、飲み物の発注を忘れて客の喉を枯渇させたり、ミスが絶えない。

しかもそのミスの原因が全て「うっかり」である。「うっかり」というのは意識の外からくるものだから、どうしようもないのだ。

 

でも最近はそういったミスを全くしなくなった。

それは何故かというと、先に自分が起こしてしまいそうな「うっかり」をあらかじめ想定することで、事前にうっかりミスを防いでいるからである。

これがどうゆうことかと言うと、自分を全く信頼しないという事である。

そうなってくると過度な「かもしれない運転」が始まる。

 

だが僕はうっかりさんなので、うっかり「自分のミスを想定して動く」という行為をうっかり忘れてしまう。

そうなると、すでに結果(ミス)が出てしまっているものの、記憶の中で「かもしれない運転」をしなくてはいけない。仮に店の鍵を閉め忘れている事を思い出しても、皆が出勤する前に急いで店に行って鍵を閉めれば良いからだ。

金庫の鍵を持ち帰ってしまうような初歩的なミスをする僕は、「店の鍵閉めてないかもしれない?」から始まる。だが日常的に繰り返している行為に関しては無意識レベルで行動を起こしているので、鍵を閉めた記憶などない。

普通は「ま、閉めたか大丈夫だろ。」となる所を「大丈夫ではなかった」結果を残し続け自分への信頼感が0な僕は「大丈夫ではないかもしれない」と思わなくてはならない。そうすることで事前にミスを防ぐのだ。

何度も記憶に裏切られた経験を活かさない奴は阿呆だ。

 

頭の中で記憶を探れば探るほど、店の鍵を閉めた賢い僕の映像と店の鍵を閉めずにそのまま飛び出てて行った阿呆な僕の映像が交差する。

もう訳が分からない。

カッターの刃をしまったけ?、レジからお金片付けたっけ?ちゃんと発注したっけ?パソコン消したっけ?

 

僕は朝5時に家を出て、バイト先にこっそり行き、閉まっている鍵を開け

すでに刃がしまってあるカッター、お金が入っていないレジ、ちゃんと発注されてある経歴を指差し確認し、満足し、家に帰るのだ。

帰宅途中、店の鍵を閉めたか気になってくる。

僕はうっかり店の鍵を閉める時「店の鍵を閉める」という行為を意識する事を忘れてしまったのだ。もう自分が鍵を閉めたかどうか覚えていないので、また店に戻る。

何度も店の扉を開こうとガシャンガシャン開かない扉を開こうとする。

自分を信頼せず、起きてしまっているであろうミスへ信頼を寄せる事で、

鍵を閉まっている事を目の前で確認しても、本当に鍵が閉まっているかどうかが分からなくなってしまっているらしい。

これは完全に何かしらの初期症状か、末期症状でもある気がした僕は

知人に相談した。知人は全て写真を撮れば良いと言ってくれた。

早速ナイスなアイデアを取り入れさせてもらった。これがかなりヤバかった。

店の鍵を閉めた「記憶」があるのにも関わらず、店の鍵が閉まっている証拠写真つまり「事実」抑え忘れてしまった時には、もう朝の5時に店に向かっているからだ。

 

昨日社員さんに、「休みの日にはもう来ちゃダメ!」と言われてしまった。

休みの日にバイト先に行く事が「ミス」だと確定したので、もう休みの日にはバイト先に行ってはいけない。

今日はとってもいい休日になりそうだ。

安らかに眠ってくれ!!!

バイト先。3日前。

ヨーグルトや飲み物を運んでくる業者のおっちゃんが中々こなかった。

朝の8時に来るようにお願いしているのだが、8時30分に店の電話が鳴り

「遅れます。急ぎま〜す。」と言われ9時に来るなんてことは日常茶飯事。

ウチの社員にこっぴどく怒られてるのを何度も見た。

遅刻してきて僕の顔を見かけては「今日は社員いるの??」とコッソリ聞いてきて、

「いないよ〜」と言うと嬉しそうな顔をしている。

飲み物を納品した後、ウチの店でよくお茶を買い、「はい100万円」などと抜かし非常に鬱陶しいのだが、何故か憎めない人だ。

僕がバイト先に入った時、本当にお金がなくて全ての公共料金を滞納していた。

そんな話をおっちゃんにすると、おっちゃんは「5000円貸そうか?」と言ってくれた。借りなかったが、とても嬉しかった。

それからは毎回会う度に、おっちゃんとはお互いの家族の話や、僕の将来の話、パチンコや、お金の話をした。

宝くじを買ったらしく、1億当たったら数百万はくれると約束してくれた。

朝っぱらからしょうもない話をすると、とても安心した。

 

社員さんが僕を呼んだ時「やめて」と思った。これから告げられる事を僕が嫌でも悟ってしまうような表情をしていたからだ。何回か見た事がある。

他のスタッフに告げると、僕が1番仲が良かった事に気をつかうように

「ああ。そうなんだ。」と言った。

これくらい悲しめば妥当かなといったような、理性的なものを感じて腹が立った。

でも僕もずっとは落ち込まなかった。落ち込まない事が出来たと言った方がいいのかもしれない。

自分の父親が死んだ時、家に集まった父親の友人達が「今頃、あの世でバイクで走ってるよ」などと明るく振舞っているのを見た時、「死にたくて死んだんじゃないのに」と思った。

僕もついついおっちゃんとの思い出を素敵な感じで書いてしまいそうになる。

理由はそうしないといられないから。

 

父親が死んで1週間が経過した後、3年生の僕は学校で楽しい事があっても笑っていいのか分からなかった。母親は笑っていいと教えてくれた。

帰り道、どれくらい悲しめばいいのかよく分からなくなった。

悲しまないようにすれば悲しまないようにする事も出来た。家に帰ってテレビを見て笑ったし、次の日には考えていない時間もあった。

 

もうバイト先でもその事について誰も喋らなくなったし、僕もいつまでも悲しむ事をやめた。いつまでも考えてられっかよと、おっちゃんに腹が立ってきた。

でも最後に会った日、遅刻してきたおっちゃんに素っ気ない態度をとってしまったかどうかが、僕はとても気になる。

 

今日バイト先の1人のおばちゃんが、

僕に「おっちゃんの事を忘れられない。お通夜に行きたい」と言ってくれた。

何だかとても嬉しかった。

くそ〜〜〜〜〜〜

 

 

「反仮定ブス幸福論」

先日、「ちょうどいいブス」を自称している女芸人さんが「仮定ブス幸福論」という説を唱えている動画を見た。

これがとても絶賛されていたのだが、僕はなんか凄いモヤモヤした。

 

何でモヤモヤするのかを考えていたら、貴重な休日があっという間にすぎてしまいそうになり、これはいかんいかんという事で、ほっといたのだが1日経過した今でもモヤモヤしている。何かツイートしたくなったのだが、ダサいから辞めよう。野暮だとか思って押し殺していた。

「仮定ブス幸福論」を最後にもう一回見て、考えるのを辞めようだなんて思っていると、コメント欄に目がいく。

「ブスなんていないよ!みんな美人だ!」とか「この人本当は美人だよ」とあり、

しまいには「こんな大勢の場で堂々とできている時点で立派」と(ブスなのによく頑張っている)的な本末転倒な意見などを目にし、やっぱこの説ヤバいんじゃないかなと、とてつもない違和感にかられ、こうしてブログを開いてしまっている。

「仮定ブス幸福論」は男女問わず、外見の美醜に関わる問題なので、これは全員に当てはまる話だと思う。

 

でざっくり「仮定ブス幸福論」って何かって言うと

「今よりもっと魅力的に、幸せになるために、自分を「ブス」だと仮定してみよう」

というものである。

「ブス」だからせめて〇〇にしなきゃと思って行動する。

・ブスだったら、ゴミが落ちてたら拾った方がいい。

・ブスは物事を知らないよりは知った方がいい

美人のバカ→天然

ブスのバカ→バカ

つまり、美人がやってない事を積極的にやらなくてはならないという事らしい。

彼女は「トイレットペーパーチャレンジ」と言うものをやっているらしい。

 

・トイレットペーパーチャレンジとは

トイレに入って空のトイレットペーパーを1つ替えたら1ポイント。100ポイント溜まったら幸せになれる。というチャレンジ

で結果、当たり前の事が当たり前にできる女性になると言った具合だ。

 

僕はこの女芸人さんが言っている事は、割と間違ってないと思うし、

ブスだと仮定して何か良い行いをしても、「損」はしないという考え方も別に良いと思う。

「人は見た目より中身」と言う説を真っ向から否定した上でってのも、爽快感があるし多くの共感を得た理由でもあると思う。割と本当の事言っていていいなと僕も思った。

でも、最後に「一回くらいイケメンと付き合ってみたい」「イケメンって意外とイケる」「家庭環境が複雑で傷ついてるイケメンはイケる」って発言でめっちゃげんなりした。急に安っぽくなったからだ。

 

 

自分の内側の話をしていたのに、異性は外側で選ぶのかよって話になる。

それはそうなんだよ。そうに決まってる。

だったらいくら内側を磨いても

「トイレットペーパーチャレンジ」なんてしても、誰も見てないぜって事になる。

そもそも冒頭で言っていた「ブスだったら内面を魅力的にするしかない」って発言が本当にそうか?と思う。 

つまりこの「仮定ブス幸福論」ってのは、最後まで外見に縛られた説であるし、

ここで唱えられている仮定ブスの「幸福」とは「良い外見の異性と付き合う」といった、非常にちんけなものだという事だ。

 

「外見の美醜」から抜けきれず、あらがった結果「内面」にこだわるという考え方に僕は違和感を覚えたんだと思う。

僕は外見の良い人は、それだけでかなり得をするし、この「仮定ブス幸福論」で言うところの「幸福」という物に触れる機会が恵まれていると思う。

就活でも「顔採用」という物があって当然だと思う。

俺が「仮定ブス幸福論」で大丈夫か?って思うのは、

例えばトイレットペーパーチャレンジで100ポイント溜まったのに、幸せが訪れなかった時、それは「損」になってしまうのではないかと言う事だ。

つまり、「誰にも見られてない所で良い行いをする(内面的)」動機が「自分がブスだから(外見)」といった場合、そしてその内面的活動に何らかの「見返り(イケメン、美女と出会う(外見)」を求めた場合、見返りがなかった時の自分や、自分をより顔立ちが整っているだけで、自分よりもここで言う「幸福」をつかんでいる人達を許せるのか、そして自分は不幸という事になってしまうのかという事にある。

 

長々としてきたが、1番モヤっとしたのは「見返り」という部分。

「外見より中身」でもない。「自分のここにマイナスがあるけど、他のプラスの部分で補う」でもない。マイナスな部分に対して、見て見ぬふりをする事はできないし、ずっと目をつぶっていると劣等感として湧いて出てくる。

顔がブサイクだから内面を立派にと生きるのもいいけど、その腐った意気込みから育てられた長所の弱点は「自分が1番わかっている」という所だ。

この「仮定幸福論」は

「外見が劣っているから、内面を磨く」という、割と自分の中で解決できる問題なのに、外見が優れている人にそれを見抜かれたいというのがおかしな話であるし、

ここまで外見の優劣前提で進めている説なのに、内面を磨いたとて、外見は仮定ブスである事には変わりはないという事を無視している。

「外見より中身説」よりよっぽど綺麗事だし、何よりも卑しく思える。

僕らは外見という事に関しては、「限界」を背負って生まれてきてる。

弱点を肯定する事は、その弱点をなおす努力を放棄しているのとは違う。

 

近々漂っているように思える、

自分の「コンプレックス」を開き直っては突き出し「こんなイケてない私、俺らでも」「ありのままの自分で」的なムードが本当に嫌いだ。それに勇気をもらってる奴らの意味が分からない。

それは「外見がブス「なのに」頑張っている。すごい!!勇気をもらった」というのは、「お前ブスだな!!」と言っている奴と何も変わらない。

 

「目が一重」だってのは、単なる「特殊性」である訳でそれを「個性」だって言われたとて。とてなんだ。

 

長々長としてきたけど、

僕は自分を「仮定ブス」とするならば、開き直って突き出すのではなくて

肯定し、平気でいるべきだと思う。

営業部長の娘がヤリマンだった話。

僕はサラリーマンだったことがある。

ネット銀行に勤めていて、なんだかんだ二ヶ月で辞めてしまった。

詳しいことはここに書いてあるので、よろしかったら是非。

ochiainowife.hatenablog.com

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ちなみにこれは会社に通っていた時の写真、

後ろの拳の穴が全てを物語っていますね。

 

芸人になりたいので会社を辞めますと告げた時、「お前がテレビに出ても絶対見ねえからな!!」と顔を真っ赤にしていた営業部長がいた。

 

この営業部長は40代後半で、会社ではかなりイケイケな人だった。

頭の回転が良く、合理的で、「絵を書くんだよ。」が口癖だった。

「絵を書くってなんですか?」と素朴な僕が聞くと

「企画だよ。デキる奴ってのは描(えが)けるんだよ。」と言われたので、

それ以上は突っ込まない事にした。

本当に怖い人だった。飲み会であんなに優しかったのに、会議になると

「落合。お前が何言ってんのか分かんないんだけど。そうゆう意見殺すから。」

と「切り替え」を意識的に魅せてくるタイプ。

「殺す」という言葉を、「意見」にあてがったりしてみる感じも苦手だった。

 

とにかくおっかなくて社内で関わらないようにしていた。

 

そんな就業中のある日、

「お前らこっち来い。」と僕含む同期3人が呼ばれた。

「また怒られるのか〜〜。」とビビりながら近づくと、

「娘が朝帰りしてきたんだよ。」と言ってきた。

 

「おいくつなんですか?」

「今年大学入ったばっかでさあ〜〜。(当時5月)」と言っていた。

 

「娘さん、ヤリマンなんですね。」と言いかけたが、詳しい状況を聞く事にした。

()内は僕ら同期の心情

・大学1年生

・サークルに入っている(あ!)

・サークルはスノボサークル(あ!!)

・この前初めて朝帰りをしてきた(あ!!!!)

 

といった感じらしい。

僕ら同期の頭の中は「ヤリマン」という言葉意外浮かんでなかった。

 

隣の同期が「スノボいいじゃないですか〜」と言っていたので

「楽しそうすね〜」と一応言っておいた。

 

これで会話が終わると思いきや、

営業部長が「心配なんだよなあ〜」とボヤくばかりなので、展開が欲しくなった僕は

「つ、ツイッター。」とつい口を滑らしてしまった。

ツイッター?」と部長が聞き返してきた

同期が「やめとけ」みたいな顔をしていた。

 

でも僕はツイッター警察としての火がついてしまった。

(としての自覚がある。名前さえあれば、発見できる。ツイッターで単純に名前を検索して、出てこなくても見つけ出す方法はいくらでもある。

現に僕はバイト先(病院内売店)の可愛いお客さん(看護師)のツイッターはかなり抑えている。)

 

僕は部長の娘がツイッターをやっていない事を祈りながら、

部長のパソコンで名前を検索した。

だが、僕がツイッター警察として培ってきた、あらゆる術を使うことなかった。

普通に本名を検索しただけで、一発で出てきたからだ。

 

SNSもガバガバかよ。と思っていると、ちゃんとパンティーは履いていたみたいだ。

アカウントに鍵がかかっている。

ここまでか〜。と思っていたのだが、

あ、サークル調べりゃいいじゃんと思って、その娘さんのID「@以下」をツイッターで検索して、娘さんのIDに飛ばしているリプ(つまり友達)のページに飛び、その子のフォロワー欄から、サークルのアカウントを見つけ出すといった手順だ。

(ちなみに、このやり方は「仏像彫刻」という技で、周りを掘っていくことで、逆に鍵垢の正体のみが明確に浮かんでくる。)

 

どうやらそれっぽいサークルのアカウントが出てきた。

 

部長の娘が帰ってこなかった日のツイートを追ってみると、

どうやらその日は「合宿」とやらに行っていたみたいだ。

部長は「ああ、合宿に行っていたのか。なんだよそれくらい言えよな〜」

と安堵の表情を浮かべていた。

【部長の娘を探す回】が終わってしまいそうだったことに、何故か腹が立った僕は、

 

「ちょっと写真見てみましょうよ!」といい、

合宿の日の、集合写真を見た。

 

同期全員脳内に「あ。夏は海行くタイプのやつだ。」が浮かんだ。

 

同期1:「海か〜〜」

同期:2「楽しそうじゃないですか〜〜」

俺:「若くていいすネ〜〜。」

部長「おぉ〜。」

 

とそれぞれ、芯の部分から1番遠い言葉を口にした。

 

「部長の娘さんはどれですか?」

 

部長は、明るさを気取ったような声で「これこれ〜〜〜」と

 

海パンを腰まで下げて、ロン毛茶髪であばらむき出しのガリガリな男、

三代目Jソウルブラザーズからダンスを奪ったみたいな男、

E-girlsの金髪みたいな感じの女、の中で、

真面目でウブな雰囲気を若干匂わせている、少女を指差していた。

 

部長の小さな背中越しに、見えたパソコンの画面には

「人生一度きりの学生生活!」「メンバーも個性豊かな人ばかり!」

「先輩、後輩関係なく!」「やりたいことやろって感じです」

「大大大歓迎!」

などの文字が広がっていた。

 

お陀仏!!!

 

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本日23時から生放送のラジオやります。

是非聞いてください〜〜!

www.poolside-25m.com

 

 

 

 

 

柔軟剤

僕は最近とても良い匂いの柔軟剤を買った。

800円と少し値段は張ったが、いい匂いになりたかったから、ここは一つということで買わせて頂きましたのだ!

 

その柔軟剤の宣伝文句が「山田優も使ってます!ブログで紹介されました!」的な感じだった。

これはつまりどうゆうことかと言うと、俺は小栗旬と同じ匂いになってしまったということなのだ。

それにしても巧みな陽動作戦だ。

表立って、「小栗旬と同じ匂いの柔軟剤!!」と謳われたらお下品そのもの。

だが、山田優を一度おとりにすることで、その先にある「小栗旬」しかもオフの時の「小栗旬」がうっすら浮き出てくる。

 

見事。

 

僕は、異性からの「いい匂いだね」は、「抱いてください」とほぼ同義語だと思っている。「いい匂い」だねというよりかは「いい臭い」だね。的な、体の「根」の部分を

つまりその、「セックス的」なとこを褒められた気がしてならない。

 

僕はコンビニでバイトをしている。もちろん、そのバイト着も「(今OFFなんでちょっとの時の)小栗旬」と同じ匂いだ。

あとは、このステキな香りを、女の子達に知ってもらうだけだ。

 

そのため僕は「ビュンビュン!!」っと店の中を動き回る。

狭い通路で、女性が向こうからきたら、出来るだけ引きつけて引きつけて、

引きつけ切った後のすれ違うその瞬間、一気に「ビュンビュン!!」っと加速し、

迷惑のかからない程度、相手のパーソナルスペースに入り込まないギリギリ横を通過する。

そうするとどうなるか?

 

僕のニオイがうまくいく。向こうさんに届く。

今までの計算上、すれ違った4秒後に僕のニオイがあれ?遅れてやってくるのだ〜

https://stat.ameba.jp/user_images/20100925/12/ikkoku-dou/f3/87/j/t02200391_0240042710766459319.jpg

おしまい

おしまい

 

※ついしん

今日もこのブログを読んでくれてありがとうございます。

読んでくれている人が想像以上に多くて嬉しい嬉鳴です。

毎日更新出来るようがんばりま〜す。

 

 

我カフェで作業也。

休日だったのでバイト先に行こうと思い、外に出た。

何故休日にバイト先に行ってしまうかは、別で書こうと思う。皆んなに聞いてほしい。

 

バイト先に行く途中、カフェの前を通り掛かると、窓際にタバコを吸いながら、MACを開き、アイスコーヒーを飲んでいる赤髪の女の子がいた。

「ベタだな〜」と思いつつ、あれをちょっとやってみたいなとも思った。

 

僕のリュックの中には、パソコン、しかもMAC。そしてタバコ、そして財布に1500円が入っていた。全部揃ってる。服も無地だし。

俺もあれをやろうと思った。

 

初めて入るカフェというのは非常に緊張する。

ひとまず、クリエイターっぽい飲み物を頼もうと思って、アイスコーヒーのMを頼んだ。Sは金がないだけ。Lまで行くと、ただ喉が渇いているだけ。

作業が目的でそれを捗るために飲むのがMなのだ。

アイスコーヒーのMは500円もした。最近口座から全財産を抜いたばかりの財布を落として、中身を抜かれてしまったので、かなり効いた。

 

「本当はアイスカフェラテにガムシロップ2個が良かったな〜」とか思いながら席に着いた。着いても特にすることがないので、ひとまずMACを開いた。

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(※完成図)

 

成る程。これは気分がいいな。「我クリエイターなり」だ。

平日の15時にMAC開いている若者が、まさか週5勤務コンビニ店員の、ただの木曜休みだとは、誰も思いもつかないだろう。

 

 

さっきの、彼女を見てみると、肘をつきタバコを吸い、難しい顔をしながら外を眺めている。

なるほどなるほど。取り入れていこう。

 

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いい感じ。写真撮る時本当恥ずかしかった。

ってか今現在恥ずかしい。MACを開いているだけだとすぐにバレてしまうから、ひとまず難しい顔で、時に首をかしげながら今ブログを書いている。

 

なんか賢いこと書きたいなとか思って頭をこねくり回しているのだが、

アジェンダ」「コンプライアンス」「PDCAサイクル」「マスターベーション」「ネットフリックス」「Abema TV」「DMM」くらいしか出なかった。

 

途中浮かんだ「トイレットペーパー」で、トイレットペーパーが残り2個だったので、買って帰らなきゃいけないのを思い出せてよかった。

 

一つ思ったのは、これはジムと同じだと思った。

ジムは他人の目があるから、頑張れると聞いたことがある。

周りから何も生産性のないクリエイターだと思われないために、みんなカフェでMACを開いているのではないかと。

ジムは、隣のやつが40キロのダンベルをあげてたら、自分は50キロのダンベルを。

カフェは、誰かに向けて、MACを開き、難しい顔をするだけ。

それで作業効率が上がるならいいのではないかと思う。

現に僕もこうやってブログが書けた訳だし。

 

今までカフェでMACを開いている人を、「無能」だとか「人間の底辺」だとか思っていたけど、

「クリエイターぶる」というよりも、「クリエイター」という役に入って

作業に没入しているならアリなのかもしれない。

 

俺は2度としないけど。

 

あの娘が席を立った。クリエイターは効率が命。

「面白くなりそうな企画が進行中。わくわく。」とツイートして、俺も帰ろう。