葬式とMEGAドンキ
友人と放課後自転車を漕いだ。
そんなことはよくあることだが、この日は違った。
クラスの男友達10数人と共にチャリを漕いでいたからだ。
横に大きく広がったり、縦に長い列を作ったりと変形しながら目的地へ向かい、
「やべえ最強の軍隊みてえだなあ。」と僕は思った。し多分口に出したと思う。
放課後気の知れた仲間大勢とチャリを漕げるなんて最高に楽しいし、
目的地がどこか分からないのもより一層イベント感が強まってテンションが爆上がりした。
目的地を知ることで、この楽しいのがいつ終わってしまうのか分かるのが嫌だったから、僕は敢えて聞かないことにした。
そうゆえば「いつ終わってしまうのか分からない」と言ったら、
同じクラスの友達のY君のお父さん突然終わってしまったらしいぜ!!
行き先の場所、つまり目的地は分からなくても、目的は分かっていた。
我々は、同じクラスの友達のY君のお父さんのお葬式に行くのだ!!!
誰もが楽しさを押し殺していた。楽しそうな顔をすると不謹慎な気がするからだ。
でも正直俺は放課後の自転車置き場の時点で、ピザを注文したくなるくらい楽しかった。
葬式会場は結構遠くにあるってことだけは聞いていたから、
「おいおいチャリでこのメンツで長旅かよ!激やばじゃん!」と浮かれまくっていた。
でも皆、Y君の浮いていったお父さんを悼む会は、かなり沈んでいると噂には聞いていたので、温度差を出さないようにした。
目的地までの「はしゃぎ」と、目的地からの「悼む行為」にできるだけギャップが生まれないように、皆、チャリを爆走させながらそれぞれが「これから悼む人」を演じた。
葬式会場は結構遠くて、田舎の方まできた。
「やばいよなあ〜〜。広い道大勢でチャリ漕ぐのクソ楽しいよな〜〜。」
とか内心思いながら、テストの話とか、とにかく学校の話をした。
できるだけ笑いが生まれないように、盛り上がらないように皆徹していた。
目の前の奴が道の幅を満遍なく使って、ジグザグに走行した時は
「お前切り込むの!?いけるの?この辛気臭い風の雰囲気に風穴あけれんの?」と期待したものだが、彼もすぐに直走してまったのを覚えている。
先頭の奴が「そろそろ近いよ〜〜」と言った。
俺はとても残念だった。こんな嘘くさい面は辞めて、皆でハシャギながらチャリ漕げばよかった。と後悔した。でもこの後悔してる感じを「悼む」感じにすり替えればいいかとか思っていた。
俺は親父が幼い頃に死んでいるから、ぶっちゃけ高3で親父が死ぬなんて大したことないよ的な部分があった。なんなら先輩風ガンガンに吹かしてやろうかと思った。
女子が教室で「Y君可哀想。。」とか言ってるの聞いて、シンプルに「ずるっ!!」と思った。俺は後輩の試合を、OBとして見に行く感覚だったから、そんなに同情してなかった。だから、皆ともっと楽しくチャリを漕ぎたかった。
皆の口数が減ってきてしまった。そろそろお葬式よろしく的な、真っ暗な雰囲気が全体を包み込んでいた。
「ME、ド、かね?」
遠くから何かが聞こえた。もう一度先頭の方に耳を澄ましてみる。
「ME、ドキ、かね?」
僕は、何故かその声が、この葬式暗雲ムードに差し込んだ一筋の光のような気がした。
「なに〜〜〜!?」僕はウチワを仰ぎながら先頭を走るクラス1の馬鹿に大声で聞いた。
「MEGAドンキ行かね???」
一筋の光どころじゃなかった。ハイビームだった。
内心「あまりにお葬式と離れすぎてんな。というかお葬式の対義語がドンキホーテみたいなとこあるし、プライスレスとかほざかれがちの人の命を悼む会の前に、激安の殿堂にいっていいのか。いいのかドンキ行って。てか待てよ。俺人生でドンキ行ったことねえじゃん。初ドンキじゃん。50号にできたドンキ行くつもりだったけど、後にとっておいたんだよな。てかドンキ行く前にMEGAとか行っていいのか?前作知らなくても2から楽しめるの?逆にあれか、スターウォーズ的な?順不同的な?MEGAで出てきたいかにも敵ですみたいな奴が、実は1で死んだはずのお父さんでした的な?てか死んだお父さんとかいうなよ。スターウォーズみてみよ今度。」みたいな事を思っていた。
俺は簡単に乗ると軽薄な奴だと思われるので、
牽制球として「なんでドンキ行くの?」と聞いた。
クラス1馬鹿な彼は
「近くにあんだよ」と言ってくれた。
最高。
清々しかった。
皆颯爽と笑顔でMEGAドンキへとチャリを漕いだ。爆漕ぎした。
俺はドンキ童貞卒業いや、初MEGAドンキ童貞卒業を果たした(プロ(MEGA
)で捨てたドンキ童貞は、ドンキ童貞を捨てたことにならない的な野暮な意見はいらない)。俺はMEGAドンキでプラスチックのカラーボールを買おうかずっと悩み、そこに立ち尽くしていた。
悩んで結果「葬式だし辞めっか。」と思い。辞めた。
クラスの女子も何故かMEGAドンキに合流しなんだかんだ楽しかった。
「うわ〜青春じゃん」と思った。
そして俺らは葬式に向かった。
会場につくと、流石に皆緊張していた。
俺は「これこれ〜〜」みたいな顔をしていたが、式場のトイレで思ったよりも自分が喋っていて、緊張を自覚した。
お焼香をあげる時、横一列家族の顔が同じで笑いそうになった。
しっかりと引き継いでることに集中すればする程笑いそうになったので、
頑張って堪えた。
でもとても悲しかった。僕はお焼香をあげたあと、トイレにダッシュして泣いてしまったのを覚えている。
式が終わってからY君が僕らの元にきてくれた。
Y君が気の毒に思えた僕は、「俺もお父さん失ってるから気持ちは少しはわかるよ。」と伝えると、Y君が少し引いた顔をしていたのを今思い出してイライラしてきた。
「きてくれてありがとう。」Y君は涙目で僕らにお礼を行った。
「Y!!これ何時に終わるの?俺らと夜焼肉食い行こ!!元気出せよ!!」とクラス1のバカは言った。
清々し〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
おしまい。
我慢汁と早弁
毎日ブログを書こうと決めてから、2ヶ月経過したと思うと
2ヶ月経ったんだなって感じがする。
それはそうとして、今日バイトが終わって、帰りの電車に乗っている時
ふと「我慢汁」について思った。
というより「我慢汁」と命名したやつに対してものすごいイライラした。
そもそも我慢汁とは
男性が性的興奮を感じた際に尿道球腺から尿道内に分泌され、外尿道口から体外に排出されたものらしい。
正式名称は尿道球腺液(にょうどうきゅうせんえき)というらしい。
wikipediaに若干の塩味を伴う。と書いてあって笑っちゃった。
我慢汁の別名として「先走り汁」なんていうのもある。
それにしても、尿道球腺液を我慢汁と名付けた奴は本当に意地の悪いやつだ。
手コキでもされて、ただ、ただただ尿道球腺液が出ただけなのに
それを恥ずかしいと思った自意識過剰の男が「ごめん我慢汁出ちゃったでヤンス」的なおどけ方をしたのだろう。
それか、手コキをしている方の女が、ただ、ただただ尿道球腺液が出ただけなのに、
「何そんなに我慢汁出しちゃって?」的な、私のことを早く抱きたくて仕方がないの?もう、この後のズッコンバッコンを想像して先走っちゃって〜〜〜。的なニュアンスで使ったのだとしたら、エゴだ。我慢するしないに関わらず、刺激に対して尿道球腺液が溢れ出ただけなのだ。決して尿道球腺液は射性をゴールとしたアイドリングなのではない。
「先走り汁」はまだ良い。「我慢」ってのがやばい。
尿道球腺液が溢れ出たことに対して、こっちの感情が入ってしまっているし、
「汁」に対して「我慢」しているのに、我慢しきれなかった「汁」を「我慢汁」と名付けられているのがやばい。
ピンとこない人は弁当で考えて欲しい。
「早弁」
早弁とは、クラスでイジラレ役に徹することでそこそこのポジションに居座ることに成功している、わんぱくなぽっちゃりボ〜イが2限終わりくらいで、早めにいったろ〜的な感じで、弁当を食う活動のことだ。早く弁当を食うことより、「早弁してんじゃ〜〜ん」と言われることが目的であり、飽和状態である学校生活にちょっとしたエンタメを滲ませる行為でもある。アドリブに見せかけた予定調和のなにものでもない。
早弁は謂わば「先走り弁当」である。
でも「我慢弁当」ではない。「我慢弁当」というのは、給食の時間まで食べたかった弁当をずっと我慢して、やっと規定された時間通りに食べれた弁当のことをいう。
「早弁」している奴に「お前我慢弁当してんじゃ〜〜ん」って言える奴は
人の心を失ってしまっている。
現在進行形で弁当を食べている奴に対して、お前我慢弁当しているななんて俺は言えない。
我慢汁なんて言わないで欲しい、
仮に君に興奮して出てしまった汁だとしても、俺の感情ごと名称で呼ばないで欲しい。
せめてフライング汁とか、フライングでお馴染みの「イアンソープ汁」とよんで欲しい。
おしまい。
「人生はC2の板橋JCT(体育会系との合流編)」
この世で僕が苦手なものを3つあげるとしたら
野球部のエナメルバッグとOBと先輩だ。
野球部のエナメルバッグとかけまして「OB」と「先輩」とときます。
その心はどれもデカいでしょう。って感じだ。
つまり、物質的にも、存在感(エナメルバッグは電車の中の存在感がやばい。あれがなかったら、この世界はもう少し広くなる)も、態度(エナメルバッグはリュックサックとかと比べると太々しい。)もデカくて、僕に「不自由」を与える。
エナメルバッグがいくらかマシなのは、誘ってこないからだ。
何故苦手なのか、それは小中高大と先輩も後輩もいたことがないからであろう。
中高大と私立に通っていて、【TEAM運動一筋ズ】とは関わった事がない。
私立と言ってもピンキリで、高校の頃は、エナメルバッガーズとは校舎が違っていたのだ。僕らは特進1と言われ、筋肉エナメルバッガーズは特進2と言われた。
なんだ「2」か。と思っていた。
高校1年は特殊で、中高一貫だったため、中学生の友達全員がそのまんま同じクラスになった。
「運動」と関わりがなかったためか、非常に風通しも悪く、放課後はデパートの女性下着売り場の前のベンチでモンハンをやったり(B-BOYみたいな服を買いに来た特進2の連中に笑われてた)、笑う事もなんかジメジメした、非常に湿気臭い雰囲気だった。
今でも僕はその湿気を身にまとっている。
何が言いたいかと言うと、体育会系や、先輩への耐性が全くないのだ。
人格が形成されかけている17歳の僕に、学校側がしたことは、
「体育会系」を校舎ごと隔離したということ。
つまり、「体育会系とは野蛮な文化だ!」「関わってはいけない!」と学校側に教育されてしまったのだ。
そして学校側は、「反体育会系的思想」を僕に、叩き込むだけ叩き込んで
後はご自由にと、僕を社会へと突き放したのだ。
それから数年が経ち24歳になった今気がついた事がある。
社会って特2の奴らとクラス同じなのかよ!!!って事だ。
勘違いをしていた。僕が教わった、義務教育では、体育会系は常に僕と隔離された関係にあり、交わる事もないし、交わってはいけないと。
でもそんな事はなかった。
最近車を運転した事がないのに
「首都高は怖くて走れない」っていう人達の気持ちがよくわかる。
学校生活までは各々分岐していたが、社会は首都高だったのだ。
――合流で気をつけるべきポイントはなんですか?
たとえば神田橋JCTでの八重洲線からC1内回りへの合流は、加速車線が短く、右側から本線の追い越し車線側に合流します。また、同じように谷町JCTでの3号渋谷線からC1内回りへの合流も右からの車線への合流になります。このふたつを含めて「右側からの車線への合流」は、合流する側も合流される側も注意すべきポイントです。ルート上で、合流が本線の右からか左からか予習しておくといいと思います
なんて言われても全くわからないのと同じで、「体育会系」との合流がうまく出来ない僕は、路肩に止まって入れそうなとこがないか、ずっと待っている。
でも、ない。スピードが早い。体育会系やら、先輩に慣れてる奴らは、ガンガン合流している。よく見ると、傷がついてる。過去に傷がついた経験があるのだろう。
僕は一つも傷がない、新車。首都高に乗る前(同い年の友人といる時)はガンガントバス。俺はスピード狂だ。でも、首都高は無理だ。
悩んでいても仕方がないと、最近合流を試みている。
ガッと寄せて事故りそうになって、路肩で休む。そんな事の繰り返しだ。
書いていたら嫌な気持ちになってきたので、今日はここまで。
次は「体育会系との合流(飯編)」を書きます。
ただの屍のようだ。
電車に乗ってスマホを見ていたら、急に画面におばあさんが出てきた。
とゆうか、おばあさん越しに僕は、スマホを覗いていた。
僕のスマホなのに、僕より先にスマホの情報をおばあさんが得ていた。
俺の前におばあさんの頭があったのでいたので、
頭の出所を見てみると、それは隣の席に座っている老婆の体から出ていた。
あ、隣の席のおばあさんが俺のスマホを覗き込んでいるんだ。
と理解し、
そのおばあさんの顔を覗き込むと、
「携帯を持っていないからどうゆうものなのかと思って。」
と2回言っていた。1回目はイヤホンをしていたから、よく分からなかった。
「ああそうなんですか。携帯持ってないんですか?」
と聞くと
「そうなの。」と答えた。
目的の駅まで着くまで話しこもうと決め、
「でも、携帯がないと不便じゃないですか?ほら何かあった時とか、手元に携帯があったら、救急車にすぐ連絡できるじゃないですか?」というと
「もう私80になるの。私以外、みんなあの世に行ってしまったから、もう何もないわ。アハハハハ」と笑っていた。
「もう80歳になるんですか?(老人が、自分の歳を自然に放り込んできた場合は、そこに触れてあげるのが鉄則)」
というと、おばあさんは「そうなのよ。」と案の定大いに喜び、
この街にずっと住んでるだの、私が若かった頃はだの、僕のリアクションを無視して話し始めた。
これから美術館に行くと勝手に話していたので、僕も話しに参加しようと
おばあさんが話している途中だが、お構いなしに
「あ!僕この前岡本太郎美術館に行きましたよ!!」と言った。
音がなくなってしまった。
僕は咄嗟に、手元のスマホで救急車を呼ぼうと思った。
電車が止まったかと思うと、
「ではまた。」とどこかに消えていってしまった。
去年の冬に舞い降りた奇跡。
最近よく思いだすことがある。ちょうど、去年のこのくらいの時期のことだ。
仕事を辞めていて5ヶ月が経過していた。無職の全能感も薄れつつある中、
無職を維持するために、テレビも、PS4もレンジも失って(今もまだ取り返せない)
絶望にくれていた。
当時の飯の写真を見て頂ければ、言葉はいらないだろう。
家にあった1番高価なものは、僕が仕事を辞めたことを知らない母親が、
送ってくれた1万円のリュックである。
僕はこれを愛用していて、とても気に入っていた。
コトの始まりは、ラジオのお手伝いの帰り道に起きた。
酔っ払いが僕の横を駆け抜けたと思ったら、その瞬間リュックが裂けたのである。
上司一人と、新卒4人の酔っ払い集団で、そのうちの新卒が僕のリュックを引き裂いたのである。
当時新卒に同情していた僕は、酔いが完全にさめた顔で謝りにきた上司を
許してしまった。明らかに良いの飲み会だった雰囲気を壊さない「オレ」に僕もまた酔っ払っていたのだ。
上司を快く許したものの、僕も財布に1000円もなかったもので、この場で金が欲しと思い、許したもののその場を立ち去らないスタンスをとった。
あと腐れを残さない代わりに、上司の財布から引っ張ろうと思った。
空気を読んだ上司は「2000円」を手渡し、「これでリュック買えるよな!!」
と上機嫌にどこかへ消えていった。
2000円をもらえた事が嬉しくて仕方なかったが、冷静になった帰り道、
粋ぶったり、金を取ろうとした、俺や、調子にノッテいた上司に腹がたった。
この事件の詳しい話はこちらに記してある。
その夜、僕は不思議な夢を見た。
「りょう、パチンコに行きなさい。あなたは、パチンコに行きなさい。」
そう告げられる夢をみたのだ。
DNA的に、パチンコに絶対行ってはいけないので、普段はあまり行かないのだが、
この時ばかりは、行くしかないと何故か思った。
夕方18時。経堂のパチンコ屋に2000円を握りしめて向かった。
もちろん、1パチ。99分の1の海物語に挑んだ。
「本日は快晴なり。視界良好!!」とパチンコ台の舵をきったが、あっけなく1000円が散った。
まあそりゃそうか、残りの1000円で松屋の定食2回食った方がいいかな、
とか考えていると、隣の席のおばあさんがいきなり話しかけてきた。
「その隣に行きなさい。」
この一言だった。
パチ神様だとすぐに分かった。
本能でこいつは、老婆の皮膚を被ったパチ神だと確信した。
隣の席に移ると、すぐに当たった。でも現実はそう甘くなく、すぐにまた玉は無くなった。と思ったら、おばあさんが、玉をたくさん入れてくれた。
なくなりそうになる度に、玉を入れてくれた。当たる度に、一つ飛ばしの席で拍手をしてくれた。
結果は、おばあさんの力もあり、プラス1000円になった。
欲をかいてはいけないし、何よりもおばあさんの協力を、負けで終わらしたくなかったので、終わりにすることにした。
ああ良かった。
と思って席をたとうとすると、店員がきた。どうやらなんかのキャンペーンをやっているらしく、クジを引けとのこと。
僕は1等を引いた。おばあさんが握手しにきてくれた。涙が出そうになった。
空気清浄機をもらって、店から出る時、おばあさんは店員と話していた。
店員「珍しいですね。パチ神様があんな若者に肩入れするなんて」
パチ神「気まぐれじゃよ。」
なんて会話をしていたんだろう。
ありがとう。
空気清浄機は知り合いに1万で売った。1万のリュックを1万に変えた。
ジュースが二本、勝ちの1000円、空気清浄機。
嬉しくて、店の前で一人で撮影した。
この思い出で終わりたくて、それ以降パチンコには行ってない。
スマホ馬鹿
言い尽くされてることだが、気になるから仕方がない。
目の前でパシャパシャパシャ、スマホで撮影している。
ライブ会場でいつも思う。「一人に任せろよ」と。
自分より前でスマホをかざしている奴がいたら、そいつの方が近いんだし
そいつ絶対Youtubeにあげるし、そいつに任せとけよ。って感じだ。
「家帰ってみたいんだよ。」って
「先のこと考えてんじゃねえよ!!」って思う。
現在進行形でめっっちゃ楽しい時に、スマホ出して何かを撮っている奴がいるだけで
萎える。こいつ「今」以外のこと考えてんじゃんか〜〜つって。
何が後でみるだよ。ここで食べますって言って、途中で
「あ、後で食べてもうまいな」つって、かじりかけのハンバーガー包み直して、
半分テイクアウトしてるようなもんだぞ。
飯食うぞ〜〜〜〜って時に、スマホかざされると
何か一回止まる。純粋な「うおおおおおおおお」って食欲が一旦止められ、また1から不自然な食欲をこいつの写真撮影のせいで作り直さなきゃいけなくなる。
写真なのに、一回静かにしなきゃみたいな気持ちになるの何故なんだろう。
何よりもめちゃくちゃ大事な瞬間をスマホのレンズ越しで見て、何がいいんだろう。
生中継のテレビ見てんのと大差ないんじゃないかと思う。
スマホで撮影している人が、思い出を辿る時
自分の手とスマホが映った「記録」している時の「記憶」だなんてもったいない。
「ま、いいんだけどさ。」とか最近思わなくなった。
何でも肯定的な姿勢を見せる態度は、無関心と変わりがない。
「でも俺最近すげえ写真ツイッターにあげる」とか言って、バランスをとる。
バランスをとると敢えて書くことで、「わかってます」とバランスをとる。
バランスをとると敢えて書いてることを、書くことでさらにバランスをとる。
バランスをとる。
失われた電気のリモコン
今日は6時に出勤し15時30分にバイトが終わった。
「ルンルンルン♫帰宅して映画でも見ようかしら♫」なんて胸を踊らせながら
家路につく。
「いっけない私ったら、のんびりしていたらもう17時だわ。電気をつけましょう」ってなってから、5時間が経過したと思うと
時の流れというのは恐ろしいものですね。そこから全く状況が変わってないのです。
あれは19時頃かな。同じ箇所を5回見たと気づいた時に探すのをやめました。
灰皿代わりにしていたペットボトルを倒した時は、それはもうそれはもう。
しかし〜私は現代人ですね。ってのは、20分に一回「あ!電気 リモコン 場所」でググればいいんじゃん。って思ってしまいます。情けない話です。
それにしても電気のリモコンが5時間ないってのは、どうでもいいですね。
自分のことを、家の鍵だとか、財布だとか、定期だとかと勘違いなされているのでは?と私思います。こんだけ目一杯フラれても「あ、あった。」ってなだけで、家の鍵みたいに「あったああああ!!!」とはならない訳です。
そう考えると、もう探さなくていいかなと。いたって時間の無駄かと思うのです。
私は、探せば探すほど、見つけた時冷静になってしまう私自身に怯えているのかもしれませんね。自然に見つかればいいのではないでしょうか。
私は夜明けを望みます。今の私にはパソコンの画面一つでさえ明るすぎるの。
久々に見た光だから。