「人生はC2の板橋JCT(体育会系との合流編)」

この世で僕が苦手なものを3つあげるとしたら

野球部のエナメルバッグとOBと先輩だ。

野球部のエナメルバッグとかけまして「OB」と「先輩」とときます。

その心はどれもデカいでしょう。って感じだ。

つまり、物質的にも、存在感(エナメルバッグは電車の中の存在感がやばい。あれがなかったら、この世界はもう少し広くなる)も、態度(エナメルバッグはリュックサックとかと比べると太々しい。)もデカくて、僕に「不自由」を与える。

エナメルバッグがいくらかマシなのは、誘ってこないからだ。

 

何故苦手なのか、それは小中高大と先輩も後輩もいたことがないからであろう。

中高大と私立に通っていて、【TEAM運動一筋ズ】とは関わった事がない。

 

私立と言ってもピンキリで、高校の頃は、エナメルバッガーズとは校舎が違っていたのだ。僕らは特進1と言われ、筋肉エナメルバッガーズは特進2と言われた。

なんだ「2」か。と思っていた。

高校1年は特殊で、中高一貫だったため、中学生の友達全員がそのまんま同じクラスになった。

「運動」と関わりがなかったためか、非常に風通しも悪く、放課後はデパートの女性下着売り場の前のベンチでモンハンをやったり(B-BOYみたいな服を買いに来た特進2の連中に笑われてた)、笑う事もなんかジメジメした、非常に湿気臭い雰囲気だった。

今でも僕はその湿気を身にまとっている。

何が言いたいかと言うと、体育会系や、先輩への耐性が全くないのだ。

人格が形成されかけている17歳の僕に、学校側がしたことは、

「体育会系」を校舎ごと隔離したということ。

つまり、「体育会系とは野蛮な文化だ!」「関わってはいけない!」と学校側に教育されてしまったのだ。

そして学校側は、「反体育会系的思想」を僕に、叩き込むだけ叩き込んで

後はご自由にと、僕を社会へと突き放したのだ。

 

それから数年が経ち24歳になった今気がついた事がある。

社会って特2の奴らとクラス同じなのかよ!!!って事だ。

勘違いをしていた。僕が教わった、義務教育では、体育会系は常に僕と隔離された関係にあり、交わる事もないし、交わってはいけないと。

でもそんな事はなかった。

最近車を運転した事がないのに

「首都高は怖くて走れない」っていう人達の気持ちがよくわかる。

学校生活までは各々分岐していたが、社会は首都高だったのだ。

 

――合流で気をつけるべきポイントはなんですか?

 たとえば神田橋JCTでの八重洲線からC1内回りへの合流は、加速車線が短く、右側から本線の追い越し車線側に合流します。また、同じように谷町JCTでの3号渋谷線からC1内回りへの合流も右からの車線への合流になります。このふたつを含めて「右側からの車線への合流」は、合流する側も合流される側も注意すべきポイントです。ルート上で、合流が本線の右からか左からか予習しておくといいと思います

 

なんて言われても全くわからないのと同じで、「体育会系」との合流がうまく出来ない僕は、路肩に止まって入れそうなとこがないか、ずっと待っている。

でも、ない。スピードが早い。体育会系やら、先輩に慣れてる奴らは、ガンガン合流している。よく見ると、傷がついてる。過去に傷がついた経験があるのだろう。

僕は一つも傷がない、新車。首都高に乗る前(同い年の友人といる時)はガンガントバス。俺はスピード狂だ。でも、首都高は無理だ。

 

悩んでいても仕方がないと、最近合流を試みている。

ガッと寄せて事故りそうになって、路肩で休む。そんな事の繰り返しだ。

 

書いていたら嫌な気持ちになってきたので、今日はここまで。

次は「体育会系との合流(飯編)」を書きます。