サラダを取り分けるより、ブチまけろ。

気がないから取り分ける

サラダを取り分けるという行為は、以前までは「気が利く女性」の代名詞であったが、最近では代名詞すぎて「サラダを取り分ける行為」そのものにさりげなさが無くなってしまったと思う。

 

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本当に無意識に取り分けたとしても、「うわっ。アピールきっつ」と僕は感じてしまうだろう。

そこまでくると、無意識に取り分けてしまう女性に腹が立ってくる。

だから僕は、意識的にサラダを取り分けない女性の方が好きだ。

 

意識的に気が利かない気遣い

先日バイト先で上司と後輩がレジに来た。

上司が後輩の飲み物を買うらしい。僕は、会計を済ませ品物を後輩に渡そうとした。

後輩が持つのが当然だからだ。

しかしこれは、「サラダを取り分ける行為」なのではないかと思った。

後輩が前に出るチャンスを俺が削ってしまっているのではないかと。

僕は敢えて、上司に品物を渡した。

そうすると、後輩がそれを遮り、「僕が持ちます。」と先輩にアピールできたのだ。

僕はサラダを取り分けるどころか、サラダを地面にぶちまけ周囲の女子達に

「私が拾います。」と言わせ、奥手な女子達にアピールする「場」を提供するレベルのことが出来たのだ。

 

バレてる

アピールというのは、根本が卑しい。だからそれを隠さなければいけない。

この前女友達から聞いた話がある。

「先輩とご飯に行った時の会計時、その先輩が「ごめん!みんな100円払って」

と言って後輩達に100円払わし、残りは全部先輩が支払った」

というエピソードだ。

その女友達は、それがカッコ良かったと言っていた。

勘弁して欲しいものである。

僕は、「今日はおごるからいいよ」と言ってくれた方がありがたいと感じる。

会計が5000円だとして、

「自分が気を使わわなくていいように、私に100円払わしてくれた。でも4900円は先輩が払ったんだ。ありがとうございます。」と思う。

根本がバレてる。

先輩の「俺は気が利くでSHOW」に100円の観覧料を払っているようなもんだ。

なんなら、最初におごるって言ってくれたら、もっと頼んだわと損した気持ちになる。

 

でも各々好きにしたらいいと思う。

書くことがないから、無理に目線入れてるだけだし。

僕は敢えて目線を入れてる事をバレたくない。